本名は武良茂。1922年(大正11年)大阪で生まれ、鳥取県境港で育ちます。
幼少の頃、自宅に出入りしていた「のんのんばあ」と呼ばれていた「景山ふさ」が語り聞かせた妖怪の話に、強い影響を受けました。
「のんのんばあ」とは、鳥取県境港で信心深い老婆、という意味です。
この景山ふさの影響で、ゲゲゲの鬼太郎が生まれたと言っても過言では無く、後年、水木は「この小柄なおばあさんが私の生涯を決めたといっても過言ではない」
《もうひとつの世界》
を教えてくれたと語っています。
「のんのんばあとオレ」というドラマも制作されていますが、水木しげると妖怪という存在の原点が良く分かる作品になっていますし、著名な俳優も多く出演しているのでオススメです。
出典:©水木プロダクション
幼少の頃より絵を描くことが好きで画家を目指していましたが、太平洋戦争が勃発し、南方の戦場へ向かうことになり、その時の爆撃で左腕を失うことになります。
しかし、左腕を失っても悲しいと思ったことは無く、「命を失うより片腕をなくしても生きている方が価値がある」と語っています。
人気作家になる前は絵で生計を立てることが難しく、極貧生活を送った水木ですが、こういったバイタリティが有ったからこそ、人気作家になり得たのかもしれませんね。
91歳になっても新刊を刊行したというのも驚きますが、うなずけます。
妖怪を書くにあたって、文献上の文字だけで記録が有る妖怪は、この水木しげるによって初めて絵として描かれました。
「砂かけばばあ」や「子泣き爺」「一反木綿」など、ゲゲゲの鬼太郎で定着しているキャラクターも、文字でのみ記録が有った妖怪です。
この水木しげるが居たからこそ、文字でしかなかった妖怪が具現化され、妖怪が住むもうひとつの世界が認知されるようになりました。
妖怪を見た実体験、絵や妖怪に対する想いが、見た人の心を捉えてやまない「ゲゲゲの鬼太郎」を生み、今日までの根強いファンを生んでいます。
出典:©水木プロダクション
ゲゲゲの鬼太郎がある限り、人間だけではなく、今後も存在を忘れられない妖怪からも、感謝されていることと思います。